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Eleven Days 11日間

オーストラリア映画 (2014)

いろいろと考えさせられる “今日的要素” を持ったオーストラリア映画。ここには、被差別民族の子供が2人登場する。シーク教徒の3人家族の12歳の弟アジットは、故郷インドにいた時、幼い頃、母がパキスタン人の起こしたテロで殺された。父は、二度と悲劇には見舞われないよう、息子のラジエール(兄)とアジット(弟)を連れてオーストラリアに移住。しかし、シーク教徒に特徴的なターバンと長い髭は、区別のつけられない地元の人から、過激派のイスラム教徒と間違えられ、国に帰れと揶揄されたりする。兄は、そんな現状に我慢できず、社会に受け入れられようと考え、父の猛反対を押し切って軍隊に入る〔オーストラリアの徴兵制は1972年に廃止〕。アジットは、兄が 海外派遣で死ぬのではないかと怖れ、父を説得して兄が出向いたパースまで、“取り返し” に行こうとして事故に遭い、父を失う。ここで、登場するのが、アボリジニの人達。70年にわたって続いた「盗まれた世代」という最悪の政策の背景にあったものは 「優生思想に基づく生殖の管理」。人種の浄化を図ろうとした、一種のジェノサイドだ。お陰で、今、オーストラリアにいるアボリジニの人達の多くは、白人との混血で肌の色が浅くなってしまった。それでも、先祖の伝統を復活しようと通過儀礼を行っている。15歳のジェイルムは、父の遺灰を持った12歳のアジットをパースまで連れて行くよう指導者から命じられる。この旅は、映画の前半3分の1で終わってしまうが、2つの被差別民族のぶつかり合いという意味で、映画のハイライトともいえる。一方、映画の主題でもある、「11日目の前に、遺骨と遺品を兄に渡し、家長を宣言してもらわなければならない」という、アジットに課せられた使命は、具体的な説明がないため、よく分からない。2009年に出版された『A Complete Guide to Sikhism(シーク教への完全ガイド)』(著者:Dr. Jagraj Singh)では、①葬儀と ②Antim Ardas(アンティム・アルダース)について、以下のように書かれている。①シーク教徒が死んだ場合、慣習として遺体は洗浄され、服を着せ、厚板もしくは容器の上に安置される。Ardasの祈りにより、解き放たれた魂に平安が与えられると、遺体は親族や友人により火葬場に運ばれ、行列の人々はGuru Granth Sahibの詩歌を歌う。シーク教徒は遺体を埋葬せず、薪の炎、電気式やガス式の火葬場に委ねる。シーク教徒の葬儀で唱えられる主な詩歌は、彼らが毎晩就寝前に唱えるSohilaである。火葬が終わると、礼拝所Gurdwaraを訪れ、詩歌を読み、Karah Parshadの料理が出される。②喪は10日間続く。火葬の行われた日、Guru Granthの通読が始まる。この聖典の通読は親族と友人によって行われる。Guru Granth Sahib(グル・グラント・サーヒブ)の聖典は9日以内に終わらなければならない。この期間中に、親族と友人は追悼に訪れ Gurbaniの詩歌を聞く。10日目に、親族と友人はBhogの儀式に参列し、故人の霊に対して祝福と平穏を祈念する。そしてHukamの後、Karah Parshadの料理が出される。家族の最年長の男性が、新たな家長を宣言し、儀式的にターバンが授与される。「11日」というのは、何を指すのだろう? アジットの父は、夜、大木と正面衝突して死亡する、翌日、アジットはアボリジニの助けを借りて父を火葬に付し、遺灰を布で包む。そして、11日という言葉が何度も発せられ アジットを駆り立てる。映画の監督もシーク教徒なので、教義を間違えるはずはない。なお、この映画の製作年をIMDbでは2018年としている。しかし、この映画は、Hollywood Screenplay Contest(2014.10.1)で、Best Family Feature Screenplay賞を受け、直後のSilent River Film Festival, US(2014.10.17-20)で、Best Feature Screenplay賞を、翌年のNashville Film Festival(2015.4.16-25)ではBest Feature Screenplay賞を受けている。それを2018年製作と標記するのは、どうみてもおかしい。よって、ここでは、2014年とした。

映画の主旨・意気込みと異なり、シナリオは Screenplay賞を3つも受けているのに、最低水準以下。こうした超マイナーな映画祭は、いったいどういう選定をしているのだろう? 映画の冒頭は 期待を持たせる展開で、オーストラリアにおけるインド移民の受ける差別的な扱いに怒った兄が、自分を見直させてやろうと志願して陸軍に入ろうとする。そして、海外派兵された兵士に死の可能性があることを知った弟のアジットが、もともと従軍に大反対だった父を説得して、兄を取り返そうと遠く離れた西オーストラリア最大の都市パースまで車ででかける。そこまでは、快適なテンポで話が進む。そして、あまりに突然の父の事故死。たまたま現場近くに居合わせたウォークアバウト中のアボリジニの親子の一行は、アジットによる父の火葬を手伝い、アジットに1人の少年をつけてパースまで送らせる。このウォークアバウトのような2人の山中行は、飲料水の確保、食料の確保、それらに対するアジットの違和感を含め、よく描かれている。その後、1人でパースに行ったアジット。ここから、脚本は急にレベルを落とす。ホームレスのようななりをしたアジットから盗みを働こうとする男、それを偶然助けることになった女性との3回にもわたる偶然の再会、その間に、貴重な時間が無駄に過ぎていく。優しい女性は、アジットと同い年の弟が家出して以来行方不明なことから、信じられないほどアジットに親切で、最後は、アジットの父の死から11日という期限に間に合わせるため、同居している女性の愛人の軽飛行機で、アジットの兄の移動先の軍の演習場まで送らせる。このフライト以降は、原則無視の破綻した脚本が 映画を破壊する。飛行機は整備不良で途中で不時着し、そこから歩き始めたアジットは、不可解な行動を取り続けて兄のいる演習場に辿り着く。そして、侵入者として射殺されかけ、偶然から命を救われる。最後は、11日の期限ぎりぎりに遺灰を遠く離れた海に流して目的を果たす。

シーク教徒のアジット役はJit Singh、混血のアボリジニのジェイルム役はTjidrm McGuire。2人とも映画は初めてで、演技は最低レベル。アジットが奇妙なまでにぶっきらぼうなのは、演技指導が悪いのか、シーク教徒の特徴なのか、Jit Singhの個性なのか分からないが、観ていて非常に不愉快だ。

あらすじ

映画は、クリケット場。観客席から 「オズィ・ジット」の声援が連呼される。打席に入っているのは、インド移民のアジット。「オズィ〔Aussie〕」 は “オーストラリア人” という意味なので、「オーストラリア人ジット」と応援していることになる。「アジット〔Ajit〕」の “A” を “Aussie” に見立て、そのあとに 残りの “jit” を付けているのだろうか? もし そうなら、これは、強打者に対する尊称と見てよい。アジットはバットを構え(1枚目の写真)、ボウラーが投げ、アジットは見事に打ち返す。打球は、ノーバウンドのままバウンダリーを超え(6ラン)、アジットのチームの応援席は総立ち(2枚目の写真、左の矢印は父、右の矢印は兄)。兄は、あとでゆっくり立ち上がるが、父と違い何事にも醒めている。

アジットの自宅のシーンになると、真っ先に、写真立ての母の写真が映る。額は、紙の花輪で飾られ、前には火の点いたロウソクが置かれている。父は、ソファを独り占めして横になって本を読み、兄は、その横でイスに座ってノートパソコンを操作(1枚目の写真)。パンジャブ語で父に、「聞いてくれよ。パキスタンで教会が襲われた。インドでモスクが破壊された。アメリカではグルドワラ〔シーク教徒の礼拝所〕が銃撃された。世界はどうなってるんだ?」と問い掛ける。父は 「息子よ、それは、無知により起きたことだ。世界には、無理解がはびこっておる」と、分かったような一般論を言う。そんななまくらな返事に満足できない兄は 「なら、理解させるよう何とかすべきだ」と、これも “できもしない” 理想論を振りかざす。父は 「まあまあ、落ち着け」と言うと、パンジャビミュージックの音量を上げ、部屋の隅で見ていたアジットは、さっそくDholakという太鼓を首にかけて叩き出す。父は、兄を引っ張り出し、バングラダンスを踊り出す(2枚目の写真)。

学校の図書館で。アジットは2人の生徒と同じテーブルに座っている(1枚目の写真)。右側の生徒が 「君、イスラム教徒か?」と訊く。「違う。何でそう思う?」。「その頭にあるやつ… 前にTVで見たことある」。「これは、ダスターとかターバンっていうんだ。TVで見たことを全部信じちゃいけない」。「ただの好奇心だよ。なら、どんな神様信じてるの?」。「神は一人しかいないだろ? 君らは、それを神と呼び、僕らはワヒグルー〔Waheguru〕って呼ぶんだ」(2枚目の写真)。「ワヒ、何だって?」。「ワヒグルー。すべてのグルーの中のグルーなんだ」。

父と兄は、住んでいる小さな町で店を営んでいる。ある日、店の前にいた父は、地元の男から、「おい、オサマ」〔オサマ・ビンラディンは、頭に白い布を巻き付けていた〕と誹謗の言葉をかけられる。「とっとと、国に帰ったらどうだ」。それを聞いた兄が、怒って向かって行こうとするが、父は 「息子よ。彼らは分かってないのだ」と止める。「ちょっと啓発してやるだけさ」。「事を複雑にするでない」(1枚目の写真)。店内に戻った兄は、一緒に付いてきた父に向かって、「あいつらは、俺たちをテロリスト呼ばわりしたんだぞ! これ以上、どう複雑になるって言うんだ?」と怒りを爆発させる。「生きていくことは容易でない。神を信じるのだ」。「父さんの哲学じみた戯言(たわごと)は聞き飽きた」。それから何日後かは分からないが、ある夜、兄は 「父さん、俺、軍隊に入る」と言い出す。それを聞いた父は、テーブルを叩いて激怒する。「そんなことは許さん!!」。「もう決めたんだ。入隊する」。大声に驚いた、アジットはドアを少し開けて様子を伺う。「お前を軍隊に殺させるために、1万マイルも離れた場所に移住したんじゃない!」。「変な目で見られるのに耐えられん。このまま臆病者でいたくない」。そして、軍から届いた書類を父に渡す。「訓練に呼ばれた。明日の朝 発てば、夕方にはパースに着ける」(2枚目の写真、矢印はアジット)〔オーストラリア軍の入隊に必要なものは、①英語と数学を含む最低10年の教育(オーストラリアの義務教育は15歳までの前期中等教育で10年間)、②身体能力、③17歳以上、④市民権〕

翌朝、兄はアジットを起こす。アジットは、「もう行くの?」と訊く。「ああ」。2人は抱き合う。兄は1枚の紙を取り出し、「これは、パースにいる友達の住所。万が一だ」と渡す(1枚目の写真、矢印、壁に貼ってあるのは西オーストラリアの地図)。「何時間運転するの?」。「15時間くらいだろう」。兄は、父の前で頭を下げて別れの挨拶をすると、一緒に玄関の外まで付いてきたアジットをもう一度抱きしめる(2枚目の写真)。

学校で、兄の陸軍入りについて訊かれたアジットは、「ハンヴィー〔軍用車両〕を駆って、テロリストどもを蹴散らすんだ」と、嬉しそうに話す。隣の席の子は、「カッコいい」と羨ましがったが、前の席の子は、「叔父さんが陸軍にいた。イラクで殺された」と辛い経験を話す。アジット:「ハンヴィーの中だから大丈夫」。「叔父さんは戦車の中にいたけど、直撃弾でやられたんだ」(1枚目の写真)。この言葉で アジットは不安になる。夜、アジットは父と一緒にTVのニュースを見ている。「ゲリラの即席爆発装置がハンヴィーを破壊し、連合軍の兵士が2人死亡しました。これで、テロとの戦いで死亡した連合軍の兵士は4150名になります」(2枚目の写真)。それを聞いたアジットは 「父ちゃん、ラジエール兄ちゃん、連れ戻せない?」と言い出す。「もう、軍隊にいて欲しくない」。父は、TVを見ているだけなので、アジットはソファを降りると、父を揺すぶり、同じ言葉をくり返す。

そして、自分の部屋に行くと、壁に貼ってあった地図を取って来て父の前に拡げ、「見て」と言って、指で一点を指す(1枚目の写真)。この場所は、Wilunaという人口681人の村。そして、アジットは、「このショートカットをとれば、パースにずっと早く行けるよ」と言って、南にあるSandstoneの村を指す〔子役が、監督から「適当に指せ」と言われただけのような気もするが、万一これが正しいとすれば、ショートカットは全くの間違い。正規の道(Meekatharra経由)を通れば、ショートカットの合流点までの距離は376キロ、それに対しSandstone経由では合流点まで372キロ。4キロ短い。しかし、Meekatharra経由が全線片側1車線の舗装道路なのに対し、Sandstone経由では、途中の197キロが未舗装道路。どうみても、不味い提案だ/なお、パースまでは936キロ。兄は15時間と言っていたが、これだと時速60キロになる→時速80キロ計算が普通なので、もっと遠い/“どうせ現実ではない” のだが、Wilunaでは小さ過ぎて、映画のような学校はあり得ない。Meekatharraの北400キロ超にあるNewman(人口4,567くらいは必要だ)。ここならパースまでは1173キロで、15時間で時速80キロ弱になる〕。「兄さんに死んで欲しくない」。この、必死の願いに、父は 「分かった」と了承し、アジットは父に抱き着く(2枚目の写真)。

野原に 混血のアボリジニの男性8人が集まっている(1枚目の写真、矢印は1人は離れているジェイルム)〔ウォークアバウトの訓練/実際には 全員で11人いる。うち子供が4人〕。話されている言葉は、パマ・ニュンガン語群の何れかの諸語の1つ。指導者が 「明日は、この道すじを行こう。今夜はここで焚火を作って過ごす」と指示する。すると、今まで木の根元に一人離れて座っていたジェイルムが、急に立ち上がると 「何でこんなことしなくちゃいけないの? バカげてる!」と 英語で文句を言う(2枚目の写真)。「黙って、そこに座るんだ。試して良い子になりたいか、不機嫌な老人になりたいかだ。この土地から、怒って出て行くな」。

アジットと父は、車でパースを目指して出発する。辺りが暗くなった頃、車は、ショートカットの土道に入る。アボリジニのグループは、焚火の周りで、顔や体に伝統的なペイントを施し、火の周りで歌いながら踊る。ジェイルムは、醒めた目でそれを見ている。父は、運転しながら、助手席で眠ってしまったアジットに毛布をかけてやる。その時、前方の道路にエミューがいるが、父の視線はアジットを向いていて気付かない。気付いた時には 目前に迫っていたので(1枚目の写真)、とっさに避けようとハンドルを切り、正面にあった木に激突。その衝撃音は、近くで焚火をしていたアボリジニの耳にも届く。「あれ何だ?」(2枚目の写真)。衝突で目が覚めたアジットは、父に声をかけるが反応がない。そこで、助手席から外に出て、運転席のドアを開けて呼びかける(3枚目の写真)〔シートベルトははめているが、エアバッグがない→ハンドルで頭を強打したのが死因〕

翌朝(父の死から2日目)、アジットは事故現場ではなく野原で目を覚ます。父も一緒だ。アジットは 「父ちゃん、起きて」と何度も呼びかけ、体を揺する(1枚目の写真)。反応がないので、近くに座っている集団まで行き、指導者の手を引っ張り 「助けて」と頼む。そして、父の前まで来ると、「ちっとも起きない。何とかして」と頼む。指導者は 「残念だな、坊や。私たちにできることはない」と、アジットの胸を軽く叩く。「どういう意味?」。「何もできん」。父の死を悟ったアジットは、泣き崩れる。しばらくすると、火を再度起こした長老がアジットを連れに来て、煙の前で葉のついた枝で体をこすり始める。「何するの?」。「悪霊が寄りつかないようにする」(3枚目の写真)。指導者が 「白い奴に知らせないといかんな」と言い出す。別な男:「遺体はどうなる? 警察が来るのに何日もかかるぞ」。それを聞いたアジットは 「何日も? ダメだよ。父ちゃんを何日も放っておけない。それに、ラジエール兄ちゃんはアンティム・アルダース〔Antim Ardas〕をしないと」と心配する。「誰?」。「ラジエール。兄ちゃん。最年長だから 責任がある」。「兄さんは、どこにいる?」。「今、パース。軍隊にいる。手遅れになる前に会わないと」。

そう言うと、アジットはすぐに行動を起こす。水で濡らした布で父の顔を拭い(1枚目の写真、矢印は白い布)、父のターバンを外し、首にかけていたペンダントネックレスを取る。2つとも兄に移譲するためだ。父の着ていた普段着を脱がせ、持ってきたきれいな服に着替えさせ、ターバンも別の色のものに変える(2枚目の写真)。最後は、全員で集めた枯れた枝で父の体を覆い、アジットが祈りを捧げた後、先端に火の点いた棒を枯れ枝の山の下に挿入し、火を点ける(3枚目の写真、矢印は燃え移った炎)。

翌朝(父の死から3日目)、父の遺体が 完全に灰になったのを見て、アボリジニの指導者は 「誰が あの子をパースに連れて行く?」と、問題を提起する。すぐに、ジェイルムが立ち上がり、「何でそんなことするのさ? 僕らに関係ないだろ」と反撥する(1枚目の写真)。指導者は、「彼が立ち上がった。彼に行ってもらおう」と言う。指導者は、ジェイルムを、悲しみにくれるアジットの前に連れて行くと、「おい、坊や。これは、ジェイルムだ。彼が、パースまで連れて行く」と話しかける(2枚目の写真)〔ということは、ここはよほどパースに近い場所だということになる。例えば、100キロも離れていたら、こんな命令は出さないであろう〕。それを聞いたアジットは、持ってきた赤い布に、父の遺灰を入れ、袋のような形にして縛る(3枚目の写真、ジェイルムはまるで無関心)。

アジットの準備が終わるとジェイルムは出発するが、彼はアジットのことなど全く考えてくれない。元々、ウォークアバウト自体に不賛成な上、無理矢理パースまで行かされるので 不平たらたらなのだ。後を追おうと必死になったアジットは、石で滑って膝を擦りむくが、遺灰の袋は無事でホッとする。途中で喉が渇いたジェイルムは、木の棒で地面に穴を掘り始める(1枚目の写真)。10~20センチほど掘り、中から染み出た水をすくって飲む(2枚目の写真)。飲み終わると、「飲め」とアジットに言う。アジットは、きれいとは言えない水を見てためらっていたが(3枚目の写真)、少量を口に入れ、思わず吐き出す。「オエッ。こんなのサイテーだ」。ジェイルムは鼻先で笑うと、「慣れろ」と言う。

アボリジニのことが話題となる重要な場面。次の休憩の際、アジットが 「なんで、そうイライラしてるの?」と尋ねると、「こんなこと、押し付けられたんだぞ!」と叱られる。「面倒かけて、ごめん」。「白い奴、いつもそう言う。『ごめん』。そう言って涙を流せば、万事解消ってワケなのさ。お前、俺たちに見つかって運が良かったな」(1枚目の写真)。「どういうこと?」。「昨夜、大人たちが話してるの聞いてなかったのか? お前、白い奴に見つかったら、変な学校に入れられて、キリスト教に改宗され、名前も変えられるんだ。だから、街に行ったら 目立たないようしてろ。誰も信じるな、でないと連れてかれるぞ」。「ところで、あそこで何してたの? アボリジニがまだブッシュの中にいるなんて知らなかった」(2枚目の写真)。「『アボリジニがまだブッシュの中にいるなんて知らなかった』だと? 何も知っちゃいないくせに。俺たちは 聖なる旅とかの途中なんだ。お前を見つける数日前から歩いてた。大人たちは、歩くことで救われると信じてる」。「救われる? どうやって?」。「山ほど問題あるから、説明できないな」。「やってみて」。「多くの大人は、『白い奴が俺たちの土地を奪い、だから俺たちは魂を失くした』と信じてる。『土地は俺たちの血。土地を失った時、俺たちの文化は殺された』って言うんだ。お前、こんな話、ニュースとかで聞いたことないのか?」。「何とかしなきゃ」。「何ができる?」。「分かんないよ。もっと自分たちのこと学んだら?」。

歩き始めて2日目(父の死から4日目)、先を歩いていたジェイルムは突然、手でストップをかける(1枚目の写真)。そして、木の棒を持って そっと岩の奥に入って行くと、棒で何度も何かを叩く。そして、殺したトカゲを持って戻って来る(2枚目の写真)。アジットは、「何でそんなことするの?」と非難する。「夕食だ」。アジットは、思わず、口に手を当てる。「言っとくけど、僕は、ベジタリアンだよ」〔インドで最もベジタリアンが多いのはジャイナ教徒と仏教徒。逆に、シーク教徒は、イスラム教徒やキリスト教徒と並びノンベジタリアンが多い、と『インドとビジネスをするための鉄則55』には、書いてあった〕。ジェイルムは 「そりゃ面白い」と笑っただけ(3枚目の写真)。

岩だらけの山地に入り、喉が渇いたアジットが木の枝で地面を掘っていると、犬の鳴き声が聞こえる。数100メートル先には民家が見える。アジットは 「農家じゃないか。あそこに行って、水もらってこよう」と言い出す。「ダメだ」。「なんで?」。本当の理由は、ウォークアバウトの途中だからなのだが、ジェイルムはそのことは言わず、肩掛け袋からペットボトルの水を取り出す。アジットは、それを奪うと、「これ、ずっと持ってたんか? なぜ、昨日、泥水なんか飲ませたんだよ?」と怒る。「これは、泥が見つけられない時の、緊急用なんだ」。アジットはゴクゴクと飲み出し(1枚目の写真)、ジェイルムは慌てて途中で奪い返す。「なぜ、農家に行けないだ? パースに早く着けるだろ」。「なんでそう急ぐ?」。「11日目までに兄ちゃんに最後の祈りをしてもらわないと」。「最後の祈りって?」。「父ちゃんのための」。ジェイルムにとっては、ウォークアバウトの方が大切だ。夕方になり、ジェイルムは木の棒で火を起こし始める(2枚目の写真)。「急げ、枯葉を入れろ」。アジットは 「なぜライター使わないの?」と質問する。「俺たちの “旅” には目的がある。そうじゃなければ、バスに乗ればいい。これが俺たち流。そう告げられた」。「だけど、なぜ? 僕は、君らじゃないんだぞ」。「今、お前のことは、俺に責任があるからだ」。真っ暗になり、焚火で焼いたトカゲの肉を差し出されたアジットは、「肉は食べないって言ったろ」と断る(3枚目の写真)。

歩き始めて3日目(父の死から5日目)、アジットは、ジェイルムに手伝ってもらい、父のターバンを巻く(1枚目の写真)〔なぜ、突然に?〕。山の端まで来た時、遠くにパースの都市の高層ビル群が見える(2枚目の写真)。この場所は、「Life on Perth.com」によれば、Gooseberry Hill(グースベリー・ヒル)国立公園から見た有名な展望。3枚目の細長い写真は、そのサイトにあったもの。“Perth Airport” として指差されたものは、2枚目の写真の矢印に該当する。このポイントは、パースの中心市街地から18キロ離れている。ここまで来た時、ジェイルムは、「俺の旅はここで終わる。お前はここからは一人で行け」と言う〔これは、アボリジニのウォークアバウトなので、平地に入っていくことはできない〕。アジットは、感謝を込めてジェイルムを抱きしめるが、そうした習慣のないジェイルムは、最初、困ったような表情を浮かべる(4枚目の写真)。しかし、最後にはしっかり抱き合い 別れを惜しむ。

山を下りて18キロ歩くのには5時間以上かかったであろうから、パースに着いたのは、午後遅く。アジットは、道で会う人ごとに “兄が書いたメモ” を見せ、住所を尋ねるが誰も知らない(1枚目の写真、矢印はメモ)。辺りがだんだんと暗くなった頃、1人の男がアジットに目を留める。そして、後を追いかけていき、「怖がるな。何もしない」と安心させた後で 「助けてやる。どこに行きたいか知ってるか?」と訊き、アジットがメモを渡すと 「ここなら知ってるぞ」と嬉しそうに言う(2枚目の写真、矢印はメモ)。そして、メモを勝手に自分の服に入れると 「分かりにくいから連れてってやる」と歩き始める。アジットが、動かずに 「メモ 返してくれません?」と頼んでも、「これかい」と胸を押さえ、「心配するんじゃない。信じてくれ」と言って返さない。「返してよ」。「何だよ? 俺を信じないのか? いいか、お前は、この街初めてだろ? この街で うまくやりたかったら、俺みたいな友だちが要る」と言い、歩き始める。どうしてもメモがいるアジットは仕方なく付いて行く。男は、どんどん人通りの少ない場所に連れて行き、細い路地に入ったところで、アジットの体を壁に押し付け、手で口を押えると、「音を立てたら、死ぬぞ」と脅し、バッグの中にあった父のペンダントネックレスを奪う。アジットが必死に抱える遺灰の袋を奪おうとした時、路地の反対側に入って来た女性から 「何してるの?」と声がかかり(3枚目の写真、矢印の先に2人の女性)、男は 「運のいいガキだ」と捨て台詞を残して立ち去る。女性たちは 「大丈夫?」と声をかけるが、誰も信用できないと思ったアジットは、そのまま黙って立ち去る。

パースでの2日目(父の死から6日目)、ひと気のない建物の陰で一夜を過ごしたアジットは、目を覚ますと(1枚目の写真)、誰もいないのを確かめて通りに出て行く。その後のアジットの出ない場面。①昨夜助けてくれた2人の女性は、同じ家に住んでいるが、1人が朝起きてくると、もう1人の女性が、男と寝ている。この男は、軽飛行機を持っていて、恐らく、薬剤散布でも請け負っているのであろう。②兄のラジエールが軍の事務所に行くと、2日後までにLaverton(ラヴァトン)の基地に出頭するよう告げられる〔実走行距離950キロ〕。所要時間を訊かれた係官は、車で12時間だと教える〔時速80キロ〕。その後に アジットのシーンが入る。お腹が減ったアジットは、歩道沿いのオープンカフェのテーブルの上に食べ残してあったケバブを拝借し、近くのベンチに持っていき、肉を取り分けていると、昨夜助けてくれた女性が通りがかり〔かなり偶然〕、「お肉と一緒の方が美味しいのよ」と声をかける(2枚目の写真、矢印の先にケバブ)。アジットは、せっかくのケバブを残して逃げ出す。夜、暗くなり、アジットがゴミ箱の中を覗いていると(3枚目の写真)、「そこは、俺のしまだぞ!」との罵声が浴びせられ、逃げ出す。夜の通りを歩いていたアジットは。空腹のあまり気を失う。

パースでの3日目(父の死から7日目)、アジットは、ソファの上で目を覚ます。助けてくれたのは、これが3度目になる女性〔あまりに偶然。そもそも、女手一つでどうやって運んだのだろう?〕。女性は、朝食を持ってきてくれる。アジットは、礼も言わずに、むさぼるように食べ始める(1枚目の写真)。「ベーコン嫌いなの?」。「ベジタリアンだよ」。「じゃあ、玉子はどう?」。「玉子は肉じゃない」。「思いつかなかった」。そこに、もう一人の女性が起きてきて、「この子、何なの?」と驚く。「ホームレスを連れ込んだの?」(2枚目の写真)。優しい方の女性が 「通りで倒れてたから」と理由を説明すると、「警察か救急車を呼べばよかったじゃないの」と批判する。この口論の間にアジットは姿を消す。

その後、家を出た “優しい方の女性” が、うらぶれた通りを歩いていて、一昨日の夜アジットを襲った男に、「あの時は、邪魔しやがって」と金品を盗まれかける(1枚目の写真)〔真っ暗な路地で、かなり離れていたので、顔が識別できたとは思えない〕。この危機を救ったのは、たまたま近くにいたアジットで〔こう偶然が重なると、観ている方も白ける〕、「おい、その女(ひと)を離せ!」と怒鳴る。アジットは、簡単に跳ね飛ばされ、コンクリートの上に落ちた遺灰の袋が裂けてしまう。怒ったアジットは、男の靴を思い切り踏みつけ、痛さで女性を離した隙をつき、股間を蹴り上げる(2枚目の写真、矢印はアジットの脚)。アジットは、痛さで苦しむ男を 「メモはどこだ?」と脅してメモを奪い、さらに、男が首からかけていた父のペンダントネックレスを奪い返す。その間に、女性はハンドバッグから防犯スプレーを取り出し、男の顔に吹きかける。男が逃げ去った後、アジットと女性は遺灰を丁寧に集める。

パースでの4日目(父の死から8日目)、再び女性の家で。女性は 「何がどうなってるのか教えてくれる?」と勧める。アジットは、それには答えず、写真立てを指差して 「あの写真、誰の?」と訊く。「アンドリューよ。私の弟。あなたの年頃の頃、家出して戻って来ない」。「まだ捜してるの?」。「ええ」。この人は信頼に足ると確信したアジットは、「兄ちゃんを見つけるの、手伝ってくれる?」と訊く。もう1人の女性は 「そのメモに行先が書いてあるの?」と訊き、アジットが頷くと、メモを見る。「ここに住んでるの?」(1枚目の写真、矢印はメモ)「なぜ、すぐ言わなかったの? 行きましょ」。3人は、兄の友人宅を訪れる。ところが、友人のシーク教徒は、「ここにはいない。10分前に出たところだ」と教える。そこで、3人は詳しいことを知るため、軍の事務所を訪れる。アジットが中に入るのを拒んだので、優しい女性が、ラジエールの婚約者のフリをして訊きにいくが、これがかえってアダとなり、嘘がバレで追い出されてしまう〔パース空港にいたラジエールが婚約者の存在を否定した〕。家に戻った女性とアジットは、グーグルマップの「ここへのルート」で、パース~ラヴァトン間のルートを見る(2枚目の写真)〔友人との会話でも、軍での会話でも、ラヴァトンという地名は一度も出てこなかったのに、どうやって分かったのだろう??〕。「どのくらいかかる?」。「1日か2日」。「お願い、連れてって」。「いとこが車を持ってるから、借りないと」。「いつ出発できる?」。「月曜」。「月曜? 3日後だよ。それより前に兄ちゃんに会わないと。もう8日経ったから、日曜までだ」。「そのために遺灰を持ち歩いてるの?」。「そうだよ。兄ちゃんがアンティム・アルダースをするのに要るんだ」。「何て?」。「アンティム・アルダース。誰かが死んだ時、最後にするお祈り。兄ちゃんは最年長の息子だから、11日までに最後の祈りをする責任があるんだ。お願い、兄ちゃんに会わせて」(3枚目の写真)。

優しい女性は、以前、もう一人の女性が一緒に寝ていた男性がパイロットだったと気付く。女性は、スマホで男性に連絡を取り、OKが出る。3人はすぐに家を出る。店が並んでいる前に来た時、優しい女性は、アジットのバッグパックを持って店に入って行く。アジットが、1人で待っていると、店先に並んでいたラーキー〔吉祥の紐〕に目を留める。そして、気に入ったものを1つ選ぶ(1枚目の写真、矢印)。軽飛行機専用の空港に着いた3人。優しい女性は、アジットに、「ジャックが、あなたをラヴァトンの滑走路まで運んでくれる。軍の演習場のすぐそばよ」と教え、バックパックを返す。中には、温かい上着、遺灰の入った水筒、水、スナックが入っている。アジットは、感謝を込めて女性を抱き締める。そして、バックパックを背負うと、さっき買ったラーキーを取り出し、「インドでは、姉妹を保護するのが兄弟の義務なんだ。だから、ラーキー・バンダンの日には、すべての姉妹は、自分たちを保護してくれるよう兄弟の手首にラーキーを結び付けるんだよ」と言う。「じゃあ、私に、これを結んで欲しいのね?」。「違うよ」。そう言うと、アジットはラーキーを女性の左手首に巻く(2枚目の写真)〔必ず右手首と書いてあったが…/左にしたのは、男女逆だから、それとも、撮影の都合?〕。「あなたは、僕を保護してくれた。ありがとう、お姉ちゃん」。今度は、女性がアジットを抱きしめる。

飛び立った飛行機を操縦する男は、ウィスキーを手放せない(1枚目の写真)。そして、どこが悪いのかは不明だが、油圧が低下して、不時着陸するハメに。無線で連絡した相手が、飲酒操縦を戒めるので、如何にひどい男か分かる。場所を訊かれた男は、「南緯22度8分4秒、東経122度7分3秒」と連絡するが(2枚目の写真)、これはいくら何でもひどい。この場所は、目的地のラヴァトンの北720キロにある。脚本がいい加減なのか? もし、“22” でなく “28” なら、ラヴァトンの北60キロになるのだが…

アジットは、「これからどうなるの?」と訊く。「ここで、助けを待つ」。「どのくらい?」。「さあ、1日とか、3日かもな」。「3日なんて待てない! 今すぐ連れてってよ!」。「背中に乗れよ、運んでってやる」。男は冗談で言っただけなのだが、アジットは男の背中に乗ってしまう。「何する! 降りろ! 何のつもりだ! 俺が ラクダに見えるか?」。「じゃあ、歩いて行こうよ」。「ああ、歩いてけよ、120キロはあるぞ〔後の経過からみて、その半分以下〕。半分も行かんうちに死ぬぞ。飛行機の中にいろ」。アジットは、男が後ろを向くと、すぐに歩き出し、男に連れ戻される。そして、「ここで助けを待つんだ」と強く言われる(1枚目の写真)。次にアジットが逃げ出すと、今度は、両足と両手を太い紐で縛られ、動けないようにされる。辺りはもう暗くなっていて、男は焚火の前でウィスキーを飲んでいる(2枚目の写真、矢印は足と手の紐)。アジットは、それでも、男にアンティム・アルダースの重要性を訴えるが、男は 「全部信じてるのか? 祈りとか、カルマとか、あの世とか、神とか?」と、酔っ払って訊く。「僕が何を信じてようが関係ない、兄さんにとって大事なことなんだ」。「じゃあ、お前さんは、何も信じとらんのか?」。「関係ないだろ! 僕に分かるかよ! まだ12歳なんだ!」。男が酔っ払って意識がなくなると、アジットは、手を縛った紐を何とか外し、すぐに足も外す。そして、その紐で男の足を縛り、男の地図を拾い上げ(2枚目の写真)、立ち去る。

不時着陸の翌日(父の死から9日目)、アジットはまばらに大木の生えている草原を突っ切り、ススキノキの間をくぐり抜け、岩のゴロゴロした場所を通る。そして、1本の木の根元に泥を見つけると、ジェイルムがやっていたように、枝で穴を掘り(1枚目の写真)、中の泥水をすくって飲む(2枚目の写真)。このシーンでは、女性がナップザックに入れてくれたペットボトルの水(1枚目の写真の矢印)は飲まない。それは、ジェイルムが言っていた緊急用なのかと思い、感心してしまう。ところが、次の場面では、アジットは、枯れ枝と枯葉を木の根元に集めてきて、ジェイルムに教わったように木の棒で火を起こす(3枚目の写真、矢印はナップザック)。ここで野宿するためかと思いきや、燃え上がった炎でナップザックを焼いてしまう。ペットボトルも。ナップザックの中には、ペットボトルとスナックくらいしか入っておらず、軽いはずなのに。泥水を飲んで、ペットボトルを飲まず、しかも、焼いてしまうとは? 全く理解できない。これ以後、アジットは、遺灰の入った水筒だけを持って歩くことになるが、取っ手のない円筒形の容器を持って歩くには神経を要する。容器ごとバックパックで運んだ方が余程楽なのに〔プラス、生きている木に悪影響がある〕

アジットは、遺灰の水筒を両手で持つと〔この “象徴的” な姿を撮影したかった?〕、小走りに走る。お陰で、倒木につまずくと、手で体を守ろうとして、水筒が吹っ飛ぶ。その先にあった崖を登ろうとするが(1枚目の写真、矢印は水筒)、水筒のため両手が使えないので、何度やってもずり落ちて先に進めない。そこで、ターバンを外し、木の枝を先端に縛り付け(2枚目の写真)、それを投げ上げ、崖の途中にある倒木に引っ掛ける。そして、ターバンにつかまって登る(3枚目の写真)〔亡き父の大事なターバン、家長の印のターバンを、こんな風に使うことが許されるのだろうか?〕。アジットがターバンを巻き直す頃の映像はかなり薄暗いので、ここで夜を過ごしたのかもしれないが、はっきりしない。

その後のシーンでは、真昼の明るさの中、アジットは灌木の荒れ地を出て砂漠に入って行く(1枚目に写真)。そして、砂の平原を歩き続け(2枚目の写真)、暑さと脱水のために気を失う(3枚目の写真)。アジットは、父の幻影を見て目が覚め、そのまま父を追って走り続ける。バックグラウンドには 如何にもインド映画らしい陽気な歌が流れるが、一回は、衰弱昏倒した少年が、こんなに走れるはずがない。

こうして、奇跡のように砂漠を抜けたアジットの前に緑の川が現われる(1枚目の写真)。アジットは、斜面を一気に駆け下り(2枚目の写真)、靴と上着を脱いでから川に入り、きれいな水を飲み、川の中に嬉しそうに立つと(3枚目の写真)、そのまま水の中に倒れ込む。ところが、その直後のシーンでは、アジットは、砂漠の中で身を起こす。そして、空に向かって、「あんた、ホントにいるの? 僕に何をして欲しいの? 何でこんなことするの?」と文句を言う。しかし、アジットの背後には枯れたブッシュをあり、最初にアジットが気を失った砂漠の真ん中ではない。そうなると、川のシーンどころか、その前の砂漠のシーンも幻だったことになる〔脚本のミスなのか、編集時にシーンの選択を間違えたのか? こんなずさんな映画は観たことがない。なぜ、映画祭で3つも脚本賞が取れたのだろう???〕

荒れ地の中を歩いていたアジットはトカゲを見つけると、水筒で何度も叩いて殺し(1枚目の写真)〔遺骨の水筒を殺生に使っていいのか?〕、火を起こして焼いて食べる(2枚目の写真)〔前は、丸一日何も食べていなかったのに、ベジタリアンだと言って断った。この日は、朝食をとったのに、禁止食物を平気で食べている。なぜ? 先ほどの幻影で、信仰を失ったから? それとも、単に、ジェイルムからの教えを映像化したかっただけ?〕

アジットは、行く手を遮るフェンス〔軍の演習場の立入禁止地区〕を よじ登って突破する。一方、兄のラジエールも演習場に来ている(2枚目の写真、矢印のターバンを巻いている男)。そして、問題の演習場での意味不明のシーン。広く水平なグラウンドを囲むブッシュの中に、1人の狙撃兵が配備されている。その狙撃兵が、グラウンドの中に入って来たアジットを双眼鏡で確認し、軍曹を呼ぶ。軍曹は 「右に移動し、身を屈め気付かれないようにし、命令を待て」と命令する。一方、仮設陣地のような場所にいた兄は、双眼鏡でアジットだと気付き、全速で弟に向かって走り出す。その姿を見た軍曹は 「シン〔兄の家族名〕、直ちに戻れ!」と叫ぶが、兄は止まらない。そこで、軍曹は 「狙撃兵、まだ発砲するな〔hold your fire〕」と無線で命令し、その直後 「くり返す、狙撃兵、撃て〔fire〕」と、全く違った命令を出す〔もう、めちゃくちゃ!〕。3枚目の写真は、狙撃兵のスコープから見た映像で、焦点がアジットの胸に向けられている。そして発砲〔訓練場の狙撃兵が、相手が子供だと分かっていて、心臓を狙って実弾を発射するものだろうか?〕

兄は、倒れたアジットに駆け寄る(1枚目の写真)。そして、駆け付けた他の隊員に、「俺の弟だ!」と言う〔本当なら、もっと怒って半狂乱になっていいと思うのだが…〕。責任を感じた軍曹が駆け寄って調べると、アジットは気を失っただけで生きている。そして、水筒を見ると銃弾でできた窪みがある。「これが、命を救ったんだ」(2枚目の写真、矢印)〔亡き父の遺灰が救ったと言いたいために、こんなありもしないシチュエーションをでっちあげたのか?〕。兄は、気を失ったアジットを抱いてジープまで運ぶ。兄に名前を呼ばれたアジットは意識を取り戻し、兄に抱き着く(3枚目の写真)。

何の説明もないが、恐らく、兄は、アジットの面倒を見るため、そして、父の遺志も受けて、軍隊を即座に辞めたのであろう。そして、2人で海辺に赴く(1枚目の写真)〔ラヴァトンから最も近い海は、南方520キロ/それとも、以前暮らしていた場所に近い北方の海なら1000キロ/アジットが兄に会ったのは、まだ9日目のはずなので、時間的にはどちらにでも行ける〕。兄は、父のターバンを巻き、父のペンダントネックレスを首にかけている。そして、手を合わせる(2枚目の写真)。そして、2人で、水筒に入った父の遺灰を海にまく(3枚目の写真、矢印)。

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